九日市の歴史

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くんち市の歴史を紐解くと、なんと四百年も前にさかのぼります。
『月に三回、塩市立ち候・・・』
という記述が残っているそうです。
大昔の毎月九日に塩を取り引きする市がくんち市の発祥らしいのです。おじいさん・おばあさんが今もこの商店街を「九日市(くんちいち)」・「九の市」と呼ぶのはそのなごりであるそうです。
今すぐ聞いてみよう。おじいさんに。
今すぐ聞いてみよう。おばあさんに。
「あそこの商店街はなんていうの?」
塩というのは人間が生きていく上で欠かせないものです。塩は海で取れます。
海から遠い中国山地の人々にとって塩は命に次ぐ貴重品。
尾道方面から運び込まれた塩を求めて、
周辺の町や村から大勢の人がそこにやってきて、たいそう賑わっていたそうです。
庄原は武士の支配する城下町ではなく、
庶民のエネルギーで築かれた里だったのですね。
むかしからくんち市は人と人とのふれあいの市であったわけです。
また、「庄原(しょうばら)」という地名も「塩」と「原」がなまってできたという説もあります。いまでも電話で庄原のことを知らない人に「しょうばら」と言うと、「しおばら?」なんて返されることがあったりします。
塩が売り買いされる野っ原ということだったのかもしれませんね。
想像してみましょう。むかしむかしの庄原の姿を。
そこで生き抜くわれわれの先祖の笑顔を。
一方、商人ではなく農業を営む人たちもいました。
その人たちは市に集まる人を見て、私たちも何か参加したいなあ、と思ったのでしょう。
ある人は竹細工、ある人はわら製品、またある人は雑穀、などを持ち寄って、塩や衣服と交換したそうです。
そうしていくうちに商人になっていった人もいたみたいですね。
税金の面でも市場は優遇されていたようです。
歳末だけ課税されたと伝えられています。
栄える市場をみんなで守ろうという動きがあったんですね。
そんなこんなで最初は青空市場だったくんち市も本格的な店舗が出店しはじめて、大正三年には文明の利器である”電灯”が市を照らしたそうです。
おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、僕、わたし。
家族みんなで昔話をしてください。
くんち市はみんなの市です。
出店する人、商品を買う人、ただのぞきにくる人、町並みを見て楽しむ人。
たくさんの人の賑わいとともに歩んできたこの市にふれてみてください。

参考:中国新聞記事『県北の今昔』

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故渡辺泰邦氏 文章

わが戦国時代、天正(西暦1573~1591)の頃、山内元通(やまのうちもとみち)(十二代・天正五年没)は、行政上の施策として、原則としては、商人から税金は取らないが、毎月11月29日と12月は、9日、19日、26日とに市(いち)を立てて売上を増し、そのうちから税金は払えということにしていた。但し、この際の税率は不明である。
これは、この地の繁栄を期して住民の安住の地とせしめんとするの意図の表れであるが、この市(いち)を開くに当っては、まず生活必需品中、塩を第一とし、その他の海産物を取り寄せされて、これを取引の資としたのであった。
庄原では、板倉(二代目)宗右エ門(泉州の浪人で天正年中に逃れて庄原へ来従者)は、尾道道から、これらの物資を運搬して来たのであった。
この市(いち)の殷賑を願った元通は、その盛況振りを親しく見分するためにではあったが、まちでは、城主のご来駕とあって、中央部に桟敷(さじき)を設けたという。
今に桟敷屋という屋号がのこっているのは、板倉宗右エ門の家で、本板倉と称するのである。(現主板倉誠吉)
以後、庄原では、毎月三回、九の日に市(いち)が立つ習慣となって来た。
一方、これとは別に、「三日市」と「九日市」とを設けさせ、月のうち各々三日と九日との三回に市(いち)を立てることをさせたというが、今、”三日市”は現存しているけれども”九日市”は名のみ残っていて、今の七塚駅の附近ではないかといわれている。
この”九日市”が、物々交換で賑わった庄原へ移ったか、或は移したかであろうといわれるが、この点は判然としない。
庄原は、ほかの城下町とは、その成因を意にし、野っ原のようなこの地で出発した沿岸地帯の産物と山村での物々交換からの発展の”まち”である。
このように市(いち)が盛んに立ってくると、まず、”造り酒屋”が繁盛するので、”天野屋”(本伊藤)とか、”胡物屋”(本田辺)等は著しい発展であったであろう。
それにつづいて多忙を極めたのは”煮売り屋”という飲食店であり、一方宿屋とか置屋と称するものと隅にはおけぬしろ物となるわけで、戦前迄、これらは他地を遥かに抜く優勢さであったのが庄原の姿であった。
明暦(西暦1655~1657)、延宝三年四月(西暦1675)並に天和二年八月(西暦1682)に市街地の大半は焼失したのであるが、其時代の最も繁盛していた頃の表通りの商家は、六十八戸連なっていたと伝えられている。
※本文は、故渡辺泰邦氏(元・庄原市教育長)が昭和三十年代にしたためられたものを、原文のまま転写したものです。(一部数字等漢数字から数字に変えています)

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そして・・・わくわく隊の結成

普段、何気なく通りすぎている街の中で”街のおもしろスポット”を探そうウォーキングを提案したところ、150名もの参加があり、小路を歩いてみると、レトロなもの、歴史的なもの・こと の発見がいっぱいだった。
その中から、その昔にぎわっていた”九日市”の存在を知り、「現代版復刻九日市」を提案したところ、同じ想いのスタッフ、里山暮らしの中で技や手仕事をつちかってきた出店者が集まってきた。
商店街の空き店舗をあえて核に2001年3月9日、雪の舞う寒い早春と呼ぶにはまだ早い九日市のスタートとなった。
普段ひっそりとした商店街が熱気とあたたかな会話であふれ返った。
「現代版復刻九日市」の発生の記念すべき日となった。

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